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ゼロ秒瞑想

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私は瞑想をやり続けて10年以上になります。

 

別に誰かに習ったわけでもなく、

天外伺朗さんや中村天風さんなどの瞑想法を

自分なりに本を読みながら実践し続けてきて、

気づいたことを積み上げ、要らない要素を淘汰し続けてきたからこそ今があるという感じ。

 

なので10年の研究と継続の集大成「ゼロ秒瞑想」をご紹介します。

 

Contents

ゼロ秒瞑想の目的

正確には「1分瞑想」「ターボ瞑想」ですが、

あくまで「ゼロ秒で、即、無念無想になること」を目的とした瞑想トレーニングです。

 

「トレーニング」なので、あくまでやり続けることが大事です。

「簡単に」とか「楽して」とか求めんで下さいね。

 

やり方

  1.  姿勢を正してリラックスする
  2.  口を「あ」の形に開けて、空気を出す。自然に出て行くのに任せるのであって、意識的に息を吐かない。できるだけ音を出さないくらい、静かにしましょう。
  3.  空気を出し切ったら口を閉じ、鼻から自然に空気が入ってくるのに任せる。こちらも意識的に吸おうとはしないこと。こちらもできるだけ音は出さないように。
  4.  吸いきったら数秒(4~8秒)息を留めて、終了

 

つまり1分かけた、めちゃくちゃゆっくりで静かな呼吸をやるんですが、

 

「それじゃあ瞑想法じゃなくて呼吸法じゃん!」

 

って話ですよね。

なのでポイントがあります。

 

考え方

このゼロ秒瞑想は「どうすればいいか」というやり方よりも、

考え方(イメージ)が大事です。

 

瞑想ってそもそも、そういうもんでしょ?

やること自体は「目を閉じて、じっとしてる」だけなのが瞑想なんだから(笑)

 

1g=5000兆円

この世で最も高価な物質の、だいたいの値段です。

反物質(詳しく知りたい方はググってね)がまさにそれなのですが、

1グラムの反物質を生成するのに、およそ5000兆円ものコストがかかるそうです。

 

でも考えてみたら、反物質のもとになる物質はそこら中にあるわけでして、

つまり私たちは呼吸や食べ物から、

5000兆円どころではない高価で貴重なものを常に取り込み放題だという事実

まずは思い出していただきたいのです。

 

単に息を出し入れするのではなく、「気」「ヴリル」「プラーナ」を取り込む

結論を言えば、ゆっくり静かに呼吸しながら、

1g=5000兆円の、太陽(核融合)以上の莫大なエネルギーを、

全身に取り込んで巡らせているんだと感じるんですね。

 

これを中国では「気」と言い、

インドでは「プラーナ」と言い、

我が師・中村天風は「ヴリル」と呼んだわけですが、

 

最初は正直感じられないでしょう。

だから、頭の片隅にでも覚えておいてね。

 

1g5000兆円って考えたら気合い入りません?(笑)

 

無の呼吸を目指す:目標は、一分間に一回未満の深くて静かな呼吸

無念無想になるにはどうすればいいか?

というと、色々な回答はできるのですが、ここでは

 

「「無の呼吸」になれば、無念無想になれる」

 

と答えましょう。

 

「無の呼吸」とは、吸う息・吐く息・留める息の全てが渾然一体となった究極の呼吸で、

気功でいう「胎息」ですね。

 

単に息を止めるだけなら「息の停止」であり、最弱であり、放っておけば死にますが、

「無の呼吸」は「息の静止」であり、最強の心身を作れるのです。

 

つまり、ゼロ秒瞑想の最終目的は「息の静止」「無の呼吸」を実現することであり、

それによって無念無想となることです。

そこへ至るまでの道筋が

「リラックスして行う、めっちゃ深くて静かな呼吸を保った瞑想」

ってわけ。

 

天地の一線:正しい姿勢でリラックスするコツ

「ゼロ秒瞑想」で一番つまづくだろうポイントが、リラックスではないかと思います。

こればっかりは自分で体感してみないと

「あぁ、これがリラックスか」と分かりませんし。

リラックスすると人はどうなるか?

 

地球の中心から自分の背骨を貫いて天へと際限なく伸びている「天地の一線」

どうすればリラックスできるか?のヒントを示すと、

自分の背骨の中心に、目に見えないレベルで

めっちゃ細いけど絶対に切れない「糸(線)」があるとして、

その線は地面のはるか下、地球の中心まで繋がってます。

 

一方、頭上(百会)を貫いて天へと無限に伸びている、

そんな糸を私は「天地の一線」と呼んでいます。

気功でいう「中脈」ですね。

 

つまり、自分の体はこの糸によって、

天からぶら下がっていて、体のどこに力を入れなくても地面に重みや力みが落ち着いていると感じるんですね。

 

この「自然な落ち着き」がリラックスでして、

背筋はまっすぐたっているけど、

腰にも腹にも肩にも、どこにも無理に力をかけてない状態です。

 

丹田ではなく丹点:心の落ち着きどころ

丹田はエリアです。

が、藤平光一さんがいう「臍下の一点」、

私が命名する「丹点」はポイントです。

 

どこにあるか?というのは一概には言えなくて、

というか感じないと意味がないので教えようがないです。

 

状態を実現できる「点」です。

 

心を落ち着ける場所がこの丹点で、

心って普段は頭だったりハートだったり、

あるいは「上の空」にフワフワしてたりしますが、

心を丹点に静止させることで不動体と不動心の両方が成り立ちます。

 

丹点を発見するには

ではどうするか?光るボールをイメージしてください。

この光の玉が、背骨を通してゆーっくりと丹点へ降りていくのをイメージしましょう。

 

その際、気のボール(光の球)が下へ降りるほどドンドン、

フィルターで濾過されて小さくなっていくのを感じてください。

  1. 最初はグレープフルーツくらいの大きさ、
  2. 次はピンポン球、
  3. 次はビー玉、
  4. BB弾、
  5. 砂つぶ、
  6. ナノサイズ、

と、丹点に近づくほど目が密なフィルターで濾過されて小さくなっていく感じです。

 

そして丹点では無限小に小さくなった光の玉が、

さらにさらに小さくなっていくのを感じるんです。

 

しばらくやっていると、

自分の体がガンダムとか巨人とかみたいに大きくなったような

「極大視」という感覚になりますが、

これは深い瞑想状態に入った証拠なので、じっくりと味わいましょう。

 

中村天風「クンバハカ」藤平光一「リラックス」ができた証拠

別に力を入れているわけでもないのに、

お腹がビリビリするのなら、気が満ちた証拠です。

 

これが中村天風さんいう所のクンバハカですね。

リラックスして、全身から力を抜いているのに腹はビリビリする状態です。

 

仙骨を立てて、背骨をまっすぐに保ち、「天地の一線」に沿って

あらゆる力みや重みを下へ下へと落としていけば、

自然にこの「身体の最強モード」となるんです。

 

この状態で、深くゆっくり静かに呼吸をする、それを繰り返していくうちに

「無の呼吸」が実現していくというのが「ゼロ秒瞑想」です。

 

存在への感謝

リラックスは身体の静止ですが、

身体をコントロールすることで、

心を間接的にコントロールできます。

 

つまりはリラックスをやり抜くと心も静止=無念無想となるんですが、

じゃあ心が静止するとどうなるか?というと、

感謝の気持ちが自然に湧いてきます。

 

それも、行為とか結果とかの表面的・物理的なものへの感謝というよりは、

「存在そのものへの感謝」という感じですね。

というような、

ビーイングレベルの感謝が自然に湧いてくるのが

仏教でいう三昧であり、無念無想ではないかと思います。

 

無理に、意識的に感謝しようとして行うのとは次元の違う感謝の念が浮かべば、

心はめちゃくちゃ静かに綺麗になっている証拠です。

 

何より「自分を超えた大きな命」と溶け合っているような感覚(溶解感覚といいます)は

めちゃくちゃ気持ちいいので、ぜひこの境地を目指していただきたい。

 

もちろん、私もいつでもこの境地になれるってほどのレベルではないし、まだまだ道半ばなので、

お互い精進しましょう!!

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