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同じ本を1000回以上繰り返し読む「読禅」は心を使いこなせるようになる修業

孫子

Sei書著者・Seikiです。

 

私は孫子(岩波文庫)を現在1512回繰り返し読んでいるのですが、

同じ本をこんだけ繰り返して何になるの?といえば

心を自在に使いこなす修業

をするためと答えます。

 

Contents

本を使う「読禅」は心を自在に使いこなすための修行

すでに全文を丸暗記するレベルで繰り返し読んでる本を

さらに読むのは、

読書というよりも瞑想に近い修行になります。

 

なので私は、本を使った禅「読禅」と読んでいるわけですが、

曹洞宗の開祖・道元の

「効果があるかどうかとか考えず、とにかく坐れ!(只管打坐)」

という言葉のごとく

「メリットとか効果とか言ってないで、とにかく繰り返し読め!」

と己に言い聞かせてやり続けてます。

 

そのプロセスで凡人から真人へと己が磨かれていきますのでね。

 

真人=心と体を己の道具として使いこなす人

凡人と真人の違いとして、

というものがあると私は考えているのですが、

 

読禅をはじめとしたあらゆる精神修行って究極のところ

いかに心を自在に使いこなせるようになるか

が目的となります。

 

読禅の効果=集中力のトレーニング

本を使った禅・読禅にはいかなる効果があるか?

最近気付いたことをまとめておくね。

 

高レベルで気が散る対象にあえて注意を向け続ける

オシャレを突き抜けた圧倒的厨二センス「オサレ」を極めし

スタイリッシュアクション漫画・BLEACHは私の大好きな漫画なのですが、

登場人物の一人に滅却師(クインシー)の石田雨竜がいます。

クインシーは自分の外にある霊子を収束し、

弓矢として放出するのを攻撃手段としているんですが、

石田雨竜は自身の修業として散霊手套というアイテムを使って

「霊子を収束する力」を究極まで高めるんですね。

 

散霊手套は霊子を高レベルで拡散する、

クインシーにとってのいわば「筋肉矯正ギブス」なので、

コイツをつけたままでなお 弓を成して矢を放ち続けたら、

外したときの収束する力はそりゃぁどえらいモンになってるって代物です。

 

何回も繰り返し読んだ本=飽きた本

なにが言いたいかって、

何回も繰り返した本って、ぶっちゃけ飽きてるわけだから

読んでても散霊手套なみに気が散るんですよ。

 

雑念が浮かんだり、関係ない妄想したりとかさ。

 

それでもなお、意識的に集中力を向け続け、留め続けることで

集中力が それはそれは高まる修行となるってわけ。

 

おわりに:読書って結構スポーツ的要素があるとつくづく思う

調子がいいときもあれば悪い時もある。

 

調子がいいときは、読み始めから読み終えるまでずーっと心の中が無念無想で

目の前の文章がスーッと心の中に入ってくるけど、

 

調子がイマイチなときは雑念や妄想ばかり浮かんで気が散るから

「眼には入ってても、心には入ってない」

という感じになります。

 

見方を変えれば、

孫子を1512回繰り返し読んでもなお、自分を鍛えることに終わりはない!

という感じかな。

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