こんにちは。Sei書著者・Seikiです。
「業界の常識は世間の非常識」
「日本の常識は世界の非常識」
と言いますが、
私が小さい頃からずーっとモヤモヤし続けていたことに
「意見と人格を混同する」
というものがあります。
Contents
意見と人格の混同、その例
例えば私が
「AKBのこの曲が好きで、今でもたまに聴くんだ」
と人に言ったとしたら
「えぇ、あなたはアイドルオタクなの?」
「お前ってAKBファンなんだぁ」
という(大体の場合、冷たい)反応が返ってくることが非常に多い。
でも、よーく考えて。
私は
「AKBのこの曲(「大声ダイヤモンド」とか「ヘビーローテーション」とか)が好き」
と言っただけであって、
「AKBのファンである」
なんて一言も言っていないのに
「アイドルファン」「AKBオタク」と、自動的に連想されてしまうんですよね。
これがつまり「意見と人格の混同」です。
アメリカ人やフランス人は、意見をぶつけ合った後でもケロッと笑い合う
議論の文化や教育のある民族、例えばアメリカとかフランスとかでは、
授業なり仕事なりで喧々諤々と意見をぶつけ合っても、
その後特に引きずることもなく、
後でお互い笑いあって肩を叩きあえるんですよね。
つまりそれは「意見は意見、人格は別」だから。
日本人は意見=人格
これが「意見と人格を混同する」日本人だと、
ちょっと変なことを言おうものなら自動的に「変な人」扱いされて、
ズルズルと関係にまで影響していくんですよね。
・AKBの曲が好き、と言っただけでアイドルオタク扱い
・「まとマギ」が好き、と言っただけでアニメオタク扱い
・ひろゆき氏を尊敬している、と言っただけで2ちゃんねらー扱い
というように。
だからなかなか本音を言い合えない。本音と建前に別れる
その弊害として、意見を積極的にぶつけ合えないし、本音をさらけ出せない。
それが「察しと思いやり」の文化に繋がっているのでしょうが、
私は「察する」などというエスパー要求に全く答えられないので、
「ハッキリ言葉にしろよ!」
「言いたいことはちゃんと言えよ!」
と常にモヤモヤしておるのです。
「論理(ロジック)」は国境や立場を超える世界言語
ビジネス書のコーナーに行けば必ず置いてある
「論理的思考」「ロジカルシンキング」の本を見ていると、
「日本人って論理コンプレックスなんだなぁ」
と思います。
私自身、「察する」ことが全然できない分、論理を重視している人間ですが、
そんな私でも
程度にしか思ってません。
だから、論理を全く使えない、使おうとしない、軽視している人は大嫌いですが、
「論理こそ全て!」「ロジック命!」という人も同じくらい大嫌いですね。
所詮はツールですから。
神でもなければ絶対でもないのだから、便利に使えればいいんです。
ロジックは文化や背景を超える。だから全世界の共通語になり得る
私がロジック(論理)を勉強する一番の意義や価値は、
全ての人間に伝わるから
だと思うんですよ。
10×10=100
これは全世界の文字を読める人なら誰でも分かることでしょ?
少なくともアラビア数字が分かり、算数がある程度できる人になら解釈の余地もなく
「そうだよね」「その通り」
と言ってくれるもの。
察してちゃんがどアホなワケ
これが例えば日本人女性が
「あそこのイタリアンのお店って美味しいらしいよ」
と言ったとして、字面だけ見れば
「あそこのお店=美味しい」
という解釈になりますが、実際には
「あそこのイタリアンのお店って美味しいらしいよ(だからデートしようよ☆)」
という意図で言っていたりします。
つまり、その時・その場の空気や文脈・文化によって適切な解釈は違ってくるわけですが、
これって
- 文化が違う
- 生きてきた背景が違う
- 性別や人種、年齢などをはじめとして共通項が少ない
と正確な解釈なんて無理ゲーになってくるでしょ?
なのに、自分の意図通りに解釈してくれない!と怒ることがどれだけ馬鹿げているかってことよ。
まとめ:ロジックは世界語
10×10=100ほどのレベルでなくても、論理的に伝えるように努力するだけで、
伝わる確率や精度ってのは格段に上がっていきます。
その努力をしないで
「伝わらない!」
「わかってくれない!」
とプリプリ怒っている人(=察してちゃん)は、私に言わせれば幼稚で卑怯な人間なんですよ。
自分は責任を取らず、悪者にならない安全な立場を出ず、そのくせ自分の思い通りにいかないと不満だらけ、
という
「キミ、赤ちゃんなの?(笑)」
って話だしね。
逆に言えば、論理的に考え、伝えるよう努力することで大勢の人とスムーズにコミュニケーションしていける。
そのためのパスポートが論理ってわけね。