無限消失点に注意を向ければ無念無想になれる

またまたマニアックな話をします。
まぁこのブログ自体、マニアックなネタだらけなんで今更ですがね。
先日LINEを配信したら、
「このブログに書いてある通りに瞑想してたら、無念無想になれました!!」
という猛者がチラホラいました。
私からしたら
「読んだだけでできちゃう、アナタが凄すぎますよ」
って感じなんですが、
大半の人は読んだだけではなかなかできないと思うんです。
ので、ちょっとサポートというか、コツを書いてみる。
Contents
安定打坐、無我一念、気の意志法に共通するコツ
中村天風さん、藤平光一さんが説く瞑想法ですね。
- 安定打坐はブザーなどの音を聴く
- 無我一念は一点を見つめて眼を閉じ、残像に集中する
- 気の意志法は丹田(丹点)に意識を集中する
簡単にやり方を説明するとこうです。
3つの方法で、ピンとくるものをやってみて、
しっくり来たら、やり込んで頂けたら良いわけですが、
これら3つの瞑想法の共通点に、ピンときますか?
- 安定打坐はブザーやお鈴などの音の後の、音が消えた後の「余韻」に注意を向ける
- 無我一念は眼を閉じる前に見つめていた点の残像に注意を向ける
- 気の意志法は、西洋医学的・解剖学的には存在しない丹田(丹点)に気を向ける
これらの共通点は「無限消失点」に注意を向けることです。
無限に0になっていく対象に注意を向けるから、無念無想になれるという理屈
無限消失点とは、遠近法の用語らしいですが、
本来的な意味とは違う使い方をここではしますね。
無限に無【0】へと近づいていく点
と定義します。
そうすると、安定打坐で、
特にお鈴や鐘などの、徐々に音が余韻を伴って小さくなっていく対象だと、
音は無【0】へ近づいていくわけじゃないですか。
人間の耳には聴こえないくらいの音になっても、
「心の耳」で持ってその音を聴くからこそ無念無想になれるという理屈です。
同じように、無我一念も、眼を閉じて瞼の裏に浮かぶ残像なんてどんどん消えていく
=無【0】へと近づいていくでしょ?
だけど、もはや見えないレベルに残像が消失しても、
「心の眼」でもって見続けるからこそ無念無想になるというわけ。
そして気の意志法。
丹田【丹点】という、自分自身の無限消失点に注意を向け続けるからこそ、
無【0】へと近づくのです。
キーワードは全て「無限消失点」というわけで、
無限消失点に注意を向け続けるのがコツということです。
瞑想法って、色々ありすぎて結局どれをやれば良いのか分からない?
のであれば、
- 太陽瞑想
- 軟酥の法
のどちらか一つをトコトンやるのが良いです。
世の中に色々な瞑想法があるのは、
それぞれで効果が違うからですが、
上記二つはやり込めば全部の効果が得られますからね。
ただ、この二つはブログでは記事に書いてない(講座で直接伝えてる)ので、
記事に書いてある内容の中からチョイスすするなら、
やはり
- 安定打座法
- 気の意志法
かなぁ。
小難しい理屈抜きでとっつきやすいからね。
というわけで今日は、マニアックな瞑想のコツでした!!