どうも!Sei書著者・セイキです。
私は宮本武蔵の
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
からインスピレーションを受け、
孫子の兵法を1000回読んだろうかい!とチャレンジを課しました。
結果として1000回をはるかに超えた回数、繰り返し読んだわけですけどね。
今はそのチャレンジを辞めてしまったのですが、
途中でカウントをやめてしまいましたが、トータルで3000回は読んだと思います。
この体験談について聞きたい!!って人が結構多いので、
「本を繰り返し読むこと」
のある種究極をこなした私が
気づいたことをツラツラとまとめてみるね。
Contents
大前提:「読むことが目的」な読書は無意味で無駄
小説や漫画などの「読むことそのものが娯楽」な読書はもちろん例外ですよ。
ビジネス書や自己啓発書、実用書なんかは
「読んで、変化する」ために読むもんでしょ?
「A→B」
「Before→After」
がそもそもの目的じゃん。
料理のレシピ本を隅から隅まで読んでもぶっちゃけ意味ないじゃん?
パラパラっと見て、一品でもいいから
ピンときたレシピを実際に作ってみるから意味があるわけでして。
筋トレしかり。英会話しかり。
私が気功にハマったのも、「気功革命」をパラパラっと見て、
腕振り運動と立禅「だけ」をサッサとやったからですよ。
それが
「キチンと読んでちゃんと理解してから、完璧なやり方で実践しよう!」
だったら、絶対ハマってねーわ。
そもそも最後まで読まずに、熱が冷めて終わってるね。
身になる読書=体を通す
読書って、いろいろと洗脳が強いですよね。
- 全部読まないといけない
- 作者の意図を理解しないといけない
- 最初から最後まで順に理解しないといけない
ってな感じで。
もちろんこれらは、学校教育によってインプリンティングされたものです。
が、我々社会人はペーパーテストのために本を読んでるわけではないわけ。
実生活=仕事、人生で結果成果を出すために本を読むわけです。
つまり、上記の洗脳は完全に邪魔でしかないってこと。
本なんか
- 読みたいところから、読みたい箇所だけ読めば良い
- 作者の意図よりも、自分の煥発のための材料にすれば良い
んですよ。
んで、一つでもいいからとにかく行動に移すこと。
結局行動でしか現実は動かないからね。
有意な繰り返しの回数はせいぜい100回
自分の体験で思ったことです。
斎藤一人さんの音源「100回聴いてください」のシリーズは実に合理的、
というか、体験に基づいた数字だというのが良くわかるね。
100回読むと潜在意識に刻まれる
というのは、夜見る夢に孫子が連日出てくるようになりました。
なんというか、BGMがデフォルトで孫子の朗読音声なんですよ。
面白いというか、気持ち悪いくらいで。
そもそも潜在意識には、何もしなくても情報は入ってる
この「潜在意識」についてもいろいろ言いたいことはあるけど、
とりあえず言いたいのは、わざわざ100回1000回読まずとも
パラパラっと捲るだけで本の内容は潜在意識に入ってます。
なんなら捲らなくても全部入ってます。
なぜなら
「時間も過去もなく、全ては繋がっている」
のが潜在意識ですからね。
けど、潜在意識から顕在意識に引き出せなきゃ意味ないでしょ?
だから潜在意識どうこう言っててもしゃーねーよなって思うわ。
1000回読んだらどうなった?
会ってお話しした人には伝えたことですが、
- 「読む自分」
- 「読む自分をモニターする自分」
- 「読まれる本=孫子」
が渾然一体とする感じになりました。
だから読書というよりも、本を使った瞑想って感じ。
で、坐禅の世界で有名な、道元の言葉に
「只管打坐(ひたすら、ただ座れ)」
があります。
1000回読みに関しては、
この言葉がそのまま返答になりますね。
意味とか、効果とか、メリットとか、コスパとか、タイパとか、
うだうだ抜かす奴は黙って読むか、立ち去るかのどっちかだよ。
結論:頭で読むな、肚で読め!心で感じるな、魂で感じよ!!
考えたことをツラツラ書いたので、まとまりというか、
構成がメチャクチャな文章になってしまいましたね。
「本を繰り返し読むことに意味はありますか?」
と言われたら
「ねぇーよボケ」
と答えます。
で、ここで引き下がる軟弱者(もしくは文句を言う馬鹿)は相手しないってだけ。
誰に何と言われようが、自分なりに繰り返し読んで、できる範囲でやり続ける
肚とか、魂はあるんかい?
って話よ。

