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真のリア充とは何か?「末人」と「超人」の違い

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Sei書著者。グータラ求道ブロガー。 「心・気・体」の強化・シン化の求道と伝道がライフワーク。ただし超マイペースなナマケ者。スポーツ嫌いの健康オタク。 座右の銘は「カネと筋肉は裏切らない」

どうも!グータラ求道ブロガーSeikiっす!!

 

私は小さい頃から運動音痴でスポーツ嫌い、

集団行動大嫌いなボッチでいじめられっ子、

趣味のほとんどがインドア系という感じなので、

世間一般から見れば「非リア充」って感じなんですよね。

※…「リア充」「非リア充」って何?って方はググレカス。

 

世間一般でのリア充のイメージって例えば

・友達が多い

・クラスや職場で中心的な立場にいる

・恋人がいる

・学生生活や社会人生活が充実している

・夏は海やバーベキュー、冬はスノボーと、年に数回は海外旅行と、なぜかアウトドア趣味が多い

・クリスマスやハロウィン、バレンタイン、W杯などでみんなと盛り上がる

って感じかな?

 

でも、ハッキリ言いたい。

こんなもんはリア充じゃねぇ!踊らされてるだけの末人じゃ!!

とね。

 

Contents

「末人」と「超人」

「神は死んだ」の名言であまりに有名な哲学者・ニーチェが語る中心思想は、

「末人たるな、超人たれ」

です。

 

「超人」というのは別に、超常的な能力を持つ者や卓越した成果を出している人などのごく限られたスーパーマンのことを指すのではなく、

今がどんな状況であれ、

「昨日より今日、今日より明日、より強くなりてぇ、強くなりてぇんだよ!!」

という感じで、自分の抱く夢なり目標なりに向かって、歩み続ける人のことを指します。

 

一方、「末人」とは、

客観的に見ればどんなに美人・イケメンであっても、いい学校や会社に所属していても、いい土地のいい家に住んでいたとしても、

周りに何となく流され、会社や学校に行き、

昨日と同じ今日を疑問もなくダラダラ過ごし、

いつもと同じ友達や恋人と特に変わりないご飯を食べたりセックスをしたりし、

クリスマスだのワールドカップだののイベントがあれば「何となく」盛り上がって、

そーいった感じで時間を何となく潰して生きていく。。。

本質的に「食って、寝て、糞尿垂れて、繁殖して、何となく時間を潰して生きていく」のと変わりない人たちです。

 

だから私からすれば、

友達が沢山いるだの、

スポーツ万能だの、

モテるだの、

結婚して子供とマイホームを持ってるだの、

アウトドアやパーティーで沢山の人に囲まれてるだの、
そんなもんで本当にお前の人生は充実していると、
魂の底から断言できるのか?!

と胸ぐら掴んで叫びたいわけです。

 

真のリア充=自分の夢や目標を持ち、日々近づいている人

なんていうか、全部人から与えられたものというか、受け身というか、踊らされてるだけじゃないっすか。
私はスポーツ全般見るのもやるのも大嫌いなんですが、

ワールドカップとか甲子園とかオリンピックとか見て盛り上がってる人たちを唾棄するがごとく冷ややかに見ているのですが、
「こいつらの内の何人が果たして、本当の意味で好きで感染したり応援したりしているんだろうな?」

と思うんですよね。

 

心から好き!って人は案外少ないんじゃないのかな?

それよりも

 

・みんなが見ているから話を合わせるために見ている(じゃないと、W杯が盛り上がってるのにJリーグが盛り上がらない説明がつかないでしょう)

・4年に一度のイベントだから

・マスコミで連日ニュースになっているから

 

そういう感じで「仕方なく」「流されて」「何となく」やっている人が多いんでは?

所詮は他人事で、大して興味や必要のないことのために時間を無駄に潰しているのなら、
あなたは立派な末人です。

 

末人は、自分なりの夢なり志なり目標なりを持たず、時間を投資することなく、強さを志向することもなく、何となく周りに流されて時間だけ潰しているのです。
超人は、他人に振り回されたり影響されたりしたわけではない自分なりの夢や志や目標を抱き、そのための時間を投資し、日々自分なりに歩み続け、挑み続ける者を指します。

 

たとえ今40代で、無職やフリーターであったとしても、友達や恋人が全くおらず、道を歩けば嗤われたり気持ち悪がられたりしたとしても、日々強くなろうとし続けるのなら、
最も厳格な意味において「超人」と言えます。
そして仮に実家が大金持ちで、イケメン・美人で、奥さん・旦那さんが最高で、いい会社のいい役職についていて、お金や時間に何不自由がなかったとしても、

毎日何となく時間を潰して、強くなろうと努力や挑戦をしないのであれば、
本質的に「飯食って、寝て、垂れてるだけ」の末人に過ぎないのです。

 

日本人の宗教にして精神的病理は「平均」

何日か前のビジネスブックマラソンというメルマガで、エリエスブックコンサルティング代表にしてビジネス書評のカリスマ・土井英司さんが

「日本人を支配する宗教は、平均」

と喝破されていて、それを読んでいた私は

 

それ!まさにそれ!!

 

と膝を打ちました。

 

平均であろうとする同調圧力、
平均から外れたものを叩いたりいじめたり村八分にしたりする集団心理、
平均から抜き出ようとする者の足を引っ張る嫉妬心、
そしてあまりにも平均から乖離した者には『あいつは特別』『俺たちとは違う』と崇める平民根性。
全ては『平均』を信仰するが故なのです。

序列をつけたがるのに、平均をありがたがる

私が昔から不思議なのは、
偏差値や学歴など、誰が決めたかもわからない数字や指標、ランク付けをありがたがり、絶対視すること。
ダニエル・ゴールマンの『EQ』やトマス・J・スタンリー『となりの億万長者』のデータを引用するまでもなく、
小卒の松下幸之助氏や中卒の斎藤一人さんの例をあげるまでもなく、
学歴だのテストの点数だのの絶対性が低いことは高校生の頃から分かっていたのですが、
周りの生徒や大人は
『偏差値がこれくらいだからお前はこの程度の人間』
と決めつけてかかるのです。
いやいや、何でよ?
美的センスや行動力、プログラミング、チャレンジ精神、起業家精神、リーダーシップなど、
他にも大事なことはいくらでもあるはずだし、
何より人生は長いのだから可能性や成長は青天井であって然りのはず。
なのに、なぜ、学校という狭い世界の中にある、
誰が決めたかもわからない指標によって全てを判断されなければならないのか?
また、運動音痴というだけで「イケてない」「ダサい」扱いをされ、いじめられなければならないのか?
結局それは
「自分は偏差値65だから、偏差値65くらいの人間としての平均」
をありがたがっているわけでしょう。
偏差値65の人間が選ぶような進路=大学に進学し、
偏差値65の人間が就くような就職先を選び、
偏差値65の人間が付き合うような人と付き合い、
偏差値65の人間がやるような趣味や遊びに興じる。
その「平均」は、一体、誰が決めたの?
そして何で、疑いもなく受け入れてるの?
さらに不思議なのは、なぜそこから外れた人を叩くの?
・・・といったことを考えた場合、
「平均」を崇めることこそが日本人の宗教であると同時に精神的病理であると気づいたのです。

『出る杭は打たれる』というより、『出ようとする杭は打たれ、出てしまった杭は崇めらる』のが日本人

結局のことを言えば、AKB総選挙で一人で何千票も投票するファンを『キモい』『バカ』と嘲笑する者たちもまた、
誰が決めて仕掛けたか分からない『何か』に振り回されて踊らされているのです。
彼らファン(ヲタ)は、秋元康さんらAKB運営陣が仕掛けたレースなりイベントなりに振り回され、大金をつぎ込み、応援しているわけですが、
宗教に金をつぎ込む信者も、
効いているかどうかわからない健康食品や健康器具に金を費やす人も、
占いやヒーリングにどっぷりはまっている人も、
特にサッカーに興味ないのにW杯の時だけ騒いでるバカどもも、
根っこは同じなんですよ。
バカは自分のバカを自覚できないが故にバカなのですからね。
私は自然法則に関して言えば『神が決めたルール』だから従おうと思いますが(ていうか逆らいようがないですが)、
たかが人間が決めたルールや常識など、どこまでも相対的であると思うし、
時には疑い、挑む必要もあると考えるのです。
運動神経、スクールカースト、偏差値、学歴、就職先、年収、業界規制…
そんなもんで自分の何もかもを決められ、振り回される筋合いなど毛頭ございません。

天地宇宙の真理にして神意は「違うことは尊い」

 

星の誕生や生命の進化を大局的に見ていて気づくことは、
木の枝や根が無限に分化していくがごとく、

一つ一つの存在、一人一人の人格や人生、工場の生産ラインで作られるものですら、一つ一つが厳密な意味において違うのです。
同じものは無限の宇宙の中で、永遠の時間の流れの中で、一つとして存在しない。
つまり、あなたも、私も、眼に映るあらゆるものも、唯一無二のものなのです。
この奇跡を考えれば、
神様が「違うことは素晴らしいよね」と命を与えてくれたのならば、
なぜ、わざわざ誰が決めたかもわからない「平均」をありがたがり、「同じ」であろうとするのか?
どこの誰かもわからないそいつは、神様よりエラいのでしょうか?

「違うこと」を分かり合い、分かち合えることで世界は完全に近づいていく

勉強は得意だけど運動は苦手な子もいる。
運動はできるけど勉強は苦手な子もいる。
学校の勉強はできなくても、新しいことにチャレンジして柔軟に吸収していける子もいる。
勉強も運動も興味ないけど、音楽や美術の才能に溢れた子もいる。
眼に見える成績ではどれもパッとしないけど、その子がいるだけで周りが明るく楽しくなる子もいる。
一人一人が違うのです。
そしてそれを、単一の数字や序列で無理やり「同じ」にしようとするから、イジメなり差別なりが生まれるような気がしてならない。
お互いの「違い」を認め、受け入れ、理解し、分かち合っていけば、
誰かが誰かを踏みつけにすることもなく、みんなが笑い合い、輝いていける、
そんな世の中になっていくのだと思う。

まとめ:「違うこと」「強くなること」をどこまでも目指し続けよう

長くなったのでまとめますね。
私が考える真のリア充とは、ニーチェが言うところの超人であり、「平均」の宗教から外れた人です。
どこまでも自分らしく、自分にできること、自分がやりたいことを追いかけ、突き詰め、そのための時間を投資し、日々近づいていく。
その道を歩むものこそが本当の意味において自分の人生を生きている、と言えるのだと思う。
魂の充実だから、「リア充」というよりは「タマ充」といった方がいいのかな?
今日の記事長ぇーよ、ボケ!覚えられんわ!!
って方はこの一言だけ覚えといて。
「違うことは、尊い」

それじゃ!!

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