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【天才・偉人の日課】中村天風を作った心身統一の習慣とは?

Seiki
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中村天風
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Seiki
グータラ求道ブロガー。「強くなること=人生のメタゲームの向上」の探求と伝道がライフワーク。
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習慣の専門家・Seikiです。

 

「習慣を制する者は、人生を制す」

「継続は力ではない。全てである」

 

を座右の銘に、日々習慣について極めんとしている私ですが、

天才とか偉人とかってどんな習慣を持っていたか、気になりません?

 

彼らと同じトレーニングをすれば、

同レベルまでは行けなくとも、限りなく近づくことはできるわけですからね。

 

というわけで本日は、

私がしょっちゅう記事にする中村天風さんがどんなトレーニングを積んで

中村天風たり得たのかを

ちょいとまとめてみますね!

 

中村天風とは?簡単に紹介するね。

日本で最初のヨガ行者です。

(※諸説あり。というか天風さんのやっていたのは、ラージャヨガ・カルマヨガという瞑想主体のものなので、アーサナとかのポーズはやってないはず)

 

大名家の三男坊として生まれ、

幼少より語学が明晰な少年でした。

気性が荒く喧嘩っ早い性分のためか、武術にも長けた

まさに文武両道を地でいく感じ。

 

軍事探偵として日露戦争を生き抜いたものの、

当時死病だった肺結核にかかり、

アメリカやヨーロッパで教えを請う日々を送るが救われず、

失意の中でカリアッパ師と邂逅。

 

その奇縁によってインドでの約三年の修行を経て

心身統一の悟りを開眼し、なんと肺結核を治してしまいます。

 

そして日本に帰国後、実業界で莫大な財を成すも

「金をいくら稼いでも何にもならんわ」と悟り、

身分や財産を捨てて心身統一法の辻説法を始めるんですね。

 

最初は誰も耳を貸さなかったものの、

そのムーブメントは徐々に大きく広がり、やがては

  • 東郷平八郎
  • 原敬
  • 松下幸之助

と、錚々たる面々が天風を師と仰ぐようになります。

 

まとめるならば

  • 語学、武道、軍事、商売、心身統一、精神指導、様々な分野で高水準の成果を挙げた快男児
  • メンターの中のメンター

というすごいお方です。

 

生涯

  • 1876(明治9年)7月30日、東京府豊島郡王子村(現東京都北区王子)に生まれる。
    本名・三郎
  • 1892(明治25年)修猷館中学を退学。頭山満翁の玄洋社に預けられる。
    陸軍中佐 河野金吉の鞄持ちとして、日清戦争開戦前の
    満州および遼東半島方面の偵察・調査に従う。
  • 1903(明治36年)訓練を受けたのち、日露戦争の軍事探偵としてハルピン方面に
    潜入、諜報活動を開始する。
  • 1904(明治37年)ロシアのコサック兵に捕えられ、死刑の宣告を受けるが
    九死に一生を得る。
  • 1906(明治39年)陸軍から任命され、朝鮮総督府の高等通訳官の任務に付く。
    任務について3ヶ月目に吐血。当時の死病であった奔馬性肺結核と
    診断される。
  • 1909(明治42年)オリソン・スウェット・マーデン博士の教えを請うために、
    病の身を押してアメリカに密航。
    コロンビア大学で聴講生となり、免疫系と自律神経系統について
    学ぶ。更に哲学者、有名識者を尋ねてヨーロッパへ渡り、
    ロンドンで、H・アデントン・ブリュース博士の講習会に参加。
    フランスで、大女優サラ・ベルナール邸に寄宿し、
    ヨーロッパのさまざまな思想、文化にふれる。
    リヨン大学のリンドラー博士に鏡を用いる自己暗示法を教わる。
    ドイツで、哲学者ハンス・ドリュース博士の説く生気論を学ぶ。
  • 1911(明治44年)近代医学をもってしても救われない失意のまま、
    マルセイユ港から帰国の途につく。
    途中エジプトのカイロでヨガの指導者カリアッパ師と邂逅。
    師に導かれてヒマラヤ第三の高峰カンチェンジュンガの麓、
    ゴルケ村に入り、ヨガ哲学の行の指導を受ける。
  • 1913(大正2年) 2年数ヵ月の修行で結核は治り、悟りを得て、
    カリアッパ師より帰国の許しを得る。
    帰国途上、上海にて第2辛亥革命に参加。
    帰国後、実業界で活躍し、いくつかの会社の経営に携わる。
  • 1919(大正8年)6月8日、実業界から身を引き、単身「統一哲医学会」を創設し、
    上野公園精養軒前で辻説法に立つ。
    同年9月、天皇の諮問奉答者であった向井厳に見いだされ、
    日本工業倶楽部での講演に招聘される。
    向井の紹介で原敬をはじめとする政財界の人々が熱心に
    天風の公演を聞く。
  • 1940(昭和15年)統一哲医学会を天風会と改称。
  • 1945(昭和20年)強制疎開を命じられ、自宅兼天風会本部であった本郷丸山福山町の屋敷が取り壊され、茨城県利根町布川に疎開する。
  • 1946(昭和21年)10月、虎の門ビルにて戦後初めての講習会が開かれる。
  • 1947(昭和22年)「真人生の探究」を発行。
  • 1948(昭和23年)「研心抄」を発行。
    文京区音羽にある護国寺の月光殿で、講習会や修練会などが
    定期的に行われるようになる。
  • 1949(昭和24年)「練身抄」を発行。
  • 1962(昭和37年)公益性を認められ、財団法人天風会となる。
  • 1968(昭和43年)4月、護国寺内に天風会館落成。
  • 12月1日 死去。享年92歳

引用:天風会公式サイト

 

中村天風をつくった習慣

何が中村天風を中村天風たらしめたのか?

幼少期の語学教育や大名家の環境なども

大きな影響があると個人的には思いますが、

 

なんといってもインドでの3年間の修行が大きいですね。

これがなければ彼は肺結核で死んでいたのだから。

 

そこでどんな修行をしていたか?というと

「天の声」を聴くための修行です。

 

心を無念無想(三昧)にすることで、

天の声が聞こえるようになり、

生命力がグングン溢れるようになるんですね。

結果、死病だった肺結核を治してしまったと。

 

※具体的にどうやるの?って方はこの記事を読んでね。

 

中村天風
安定打坐法・無我一念法のやり方

 

ここら辺の詳しいエピソードは「盛大な人生」の第4章を読んでいただきたいのですが、

私も天風さんの教えを実践してますので、

心を空(くう)にするとスゲェ!のは日々実感しますね。

 

まとめ

中村天風さんがなぜ、分野を問わず、そして今もなお偉人級の人たちから師と仰がれるかといえば、

心と体の統一を説いたからですね。

 

体だけでもダメ、心だけでもダメ、

両方揃ってこそ人は強く生きられるというシンプルにして強い教えは時代を超えて響きます。

 

偉人と同じ習慣(トレーニング)を積めば、

偉人になれるとは言わずとも近づくことはできるんです。

成功は100%ではありませんが、成長は100%ですからね。

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