「人生の目的は何か?」「人は何故生きるのか?」目的と理由の違い

 
光り輝く世界

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Sei書著者・Seikiです。

 

人はなぜ生きるのか?

なんのために生きるのか?

 

という問いは中二病や思春期に限らず、生きてれば時々は思い浮かびますよね。

(え?違う?お前だけだよって?そんな馬鹿な!!)

 

万年中二病の私は、

しょっちゅうこういう問いが頭の中をグルグルしているわけですが

つい最近これらの問いにスッキリ決着がつきました。

 

「人はなぜ生きるのか?」その答えは他人に聞くことではない

理由と目的は違います。

 

「人はなぜ生きるのか?」はつまり

「人が人生を生きる理由は何ぞや?」ということであり、

 

それに対して

「人は何のために生きるのか?」はつまり

「人が人生を生きる目的は何か?」ということです。

 

つまり、本来違う問いをごっちゃにして考えていたからグルグル悩んでいたのであって、

きちんと分けてスッキリと考えれば答えは明確に出てくるものです。

 

人が人生を生きる理由、それは人それぞれのオリジナル

人が人生を生きる理由、それは一人一人違う、どこまでも独自なものです。

 

ルパン三世の次元大介は「うまい酒を飲むため」だし、

ある人は「いいオンナを抱くため」でしょう。

うまい飯を食うでも、

行ったことのない国へ行くでも、

子供の笑顔でも、

なんでもいい。

 

生きる理由に貴賎などないですし、

むしろゲスなくらいが本能の力が発動するから素晴らしいほどです。

 

「人生」だとあまりにも大きすぎる問いなので、例えば

「人はなぜスポーツをするのか?」という問いに言い換えたとして、

  • 私みたいにスポーツにかけらも興味のない人間は「スポーツなんざしねぇよ!」って答えるし、
  • ある人は「楽しいから」やってるだろうし、
  • 別の人は「チャンピオンになりたい」という感じでしょう。

 

また同じ「チャンピオンになりたい」でも、

根っこの動機は

  • 「有名になりたい」
  • 「モテて女子アナや女優とヤリまくりたい」
  • 「小さい頃バカにされたのを見返したい」
  • 「子供達に希望と勇気を示したい」
  • 「応援してくれた人への恩返し」

と、色々と違うもんでしょ。

 

つまり、何かをやる理由なんてものはどこまでも個人的なものなので、

人に聞いても仕方ない。

自分で自分に問いかけ続けるしかないんです。

 

私のスモールハッピー(生きる理由)

私はEvernoteで毎日日記を書いてます。

で、例えば

●立禅 4点

というように

 

「行動したこと」と

「それに対する0点〜5点の6段階評価」をするようにしています。

 

0点は「最悪」で5点は「最高」という感じですが、

ある日、5点の項目だけをザーッと読み返したのですが、

 

私は

  • 深い瞑想状態に入った時とか、
  • 気功で天地合一した時とか、
  • ブログ記事をスラスラ書けた時とか、
  • サウナでじっくり汗をかいた時とか、

とにかく身体感覚・内的感覚が伴ったときにこそ幸せや喜びを最大限に実感して

5点の最高評価を下す傾向にあると気づきました。

 

つまり私の「生きる理由」は、身体感覚・内的感覚の充足ということになるわけね。

だから小さい頃から健康オタクだったんだなぁ、と腑に落ちました。

 

自分の幸せに責任を持てば世界はだいぶマシになる

「責任」というと重っ苦しい感じですが、

人生における唯一にして最大の責任は「自分の幸福」だと思うんです。

 

つまりね。

何をどうすれば、どんな条件を満たせば、

自分は幸せや喜びを感じられるのかは

どこまでも個人的で主観的なわけですが、

 

それをきちんと深掘りすることもなく、外部や他者に

「幸せにしてくれ〜」

「楽しませてくれ〜」

と求めるからこそ、

 

  • 金や時間を搾り取られる
  • 依存したり中毒になったりする
  • くだらない噂話やゴシップなどの低俗な脳内文化しか蓄積されない
  • 気に入らない他人をイジメたり口撃・攻撃したりする
  • 特に好きでも尊敬するでもないどうでもいい人間と群れて安心する
  • 30代以降の暇つぶしに困る

ようになるんだと思う。

 

自分の幸せはきちんと自分で満たす。その責任をとる。

ということができる人が一人でも増えるだけで、世界はだいぶいい方向へ進むと思う。

 

「人は何のために生きるのか?」その答えはシンプルである

「人はなぜ生きるのか?」はどこまでも個人的なものですが、

「人は何のために生きるのか?」つまり

「人が人生を生きる目的は何か?」は極めてシンプルで明確です。

 

ビッグハッピーの追求

人が生きる目的は

「自分という人間が存在したことで、世界をより良くするため」

です。

仰々しく言いかえるのなら

「世界全体の、幸福の最大絶対量を創出・増大・向上させること」

であって、

 

例えば仕事やビジネスなら事業の発展繁栄、雇用の創出、社員の教育や育成、税金を収める、それらを総合した富の創出で

世界全体の幸福の最大絶対量が増えるわけでしょ。

 

仕事に限らず

  • 虐待動物の保護
  • 環境保全
  • 地域貢献
  • 家庭での育児

など、様々な分野で色々な「世界をよりよくすること」ができるはずです。

 

他人との比較や序列は関係ない

「世界をよりよくする」というと、特に男性はすぐに

あの人の方がより偉い!

だのと序列や優劣をつけたがりますが、

そんなものはどうでもいいんです。

 

ある人から見ればしょぼくて小さい、くだらないことでも、

それで幸せになる誰かがいるのだからね。

 

孫正義とイチローのどちらが世界により貢献しているか?

なんて比較することのくだらなさを考えて見ればわかるでしょう。

 

そもそもの土俵が違うし、

ていうかどっちもスゲーよ!

で決着するからね。

 

まとめ:人生はスモールハッピーとビッグハッピー

人はなぜ生きるか?はスモールハッピーの追求であり

人は何のために生きるか?はビッグハッピーの追求である。

 

そしてそれらは比較や序列、優劣とは関係がない。

 

長年考えてきたことがようやくシンプルに言い切ることができましたね。

まぁあくまで「私はこう考える」というだけなので参考にしていただけたら幸いです。

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